平和学習の旅 後編
2009年9月6日 11:14|28 Comments|女ふたりの日々と旅
私とグリ子さんの前にある、人形を抱くひとりの特攻兵の写真。
これを特攻平和会館で見たことが、人形を集めるきっかけになったそうです。
オーナーさんはその写真にまつわる物語を聞かせてくれました。
若い特攻兵たちが知覧を飛び立つ時、彼らが淋しくないように、その家族や恋人が人形などを持たせることがよくあったそうです。
特攻兵はその人形を胸に、飛行機で敵軍に体当たりをしたわけです。
写真の市松人形も兵隊さんのお母さんが、彼に持たせたものだそう。
彼が飛び立つ前に「お母さんに人形と一緒の姿を遺してやろう。」と彼の仲間が撮った写真なのだそうです。
写真のそばには、その兵隊さんが手にしていたものとよく似た市松人形が飾られていました。
この人形、たまたま骨董屋で見つけたもので、兵隊さんの人形と同じ人形師の作品であることが後でわかったそうです。
ギャラリーを出た後、オーナーさんのご主人特製のコーヒーをいただきました。
「あなたたちは姉妹?」とここでも言われた私とグリ子さん。
「よく言われるんですけど…似てますか?」と聞くと、「目と、持ってる雰囲気がよく似てる。」とオーナーさん。
なんだか「縁」って不思議だなとしみじみ思いました。
入り口の売店でいくつかお土産を買って外に出た私たちを、「またお茶飲みにきてくださいね。」と見送ってくれました。
特攻平和会館へ行く前に、ここに来て良かったと思いました。
車に乗った私とグリ子さんは、そこからすぐの特攻平和会館に向かいました。
施設に着くと、中は夏休み最後の家族連れがいっぱい。
私たちは、端からゆっくりと特攻兵たちの写真や手紙、遺品を見て歩きました。
たくさんの写真の中に、人形博物館で見た写真がありました。
さっきあのような話を聞いていなければ、気付かずに通り過ぎていたかもしれません。
きっと、他の1枚1枚の写真にも様々な物語があるはず。
語り部のおじさんの解説を聞いたり、映像を見たり、外に出てお参りをしたりしているうちに数時間が過ぎていました。
夕方になって、私とグリ子さんはそこを後にしました。
帰り道、車を走らせていると遠くに開聞岳が見えました。
あの山を何度も振り返り、あれが見えなくなったらもう二度と故郷には戻れない…と決死の覚悟でいった若い特攻兵たちの気持ちを想うと、また胸が痛くなりました。
ドライブ日和の8月の終わり。
愛する人とそばにいられることを感謝した、有意義な旅でした。
2009年9月6日 11:14|28 Comments|女ふたりの日々と旅
Comments
28 Responses to “平和学習の旅 後編”
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9月 6th, 2009 @ 11:40 AM
胸に、ずしーっときますね(´_`。)
死を選んでも、家族のため国のためだと
思って戦ったたくさんの人がいることを
忘れちゃいけないですよね・・(´・ω・`)
知覧、いってみようーー☆☆
9月 6th, 2009 @ 11:59 AM
そんな方々の犠牲があったからこそ
今の平和な日々があるのかなーと感じました
(゚ーÅ)
今年の政権交代劇場。鳩山首相には
頑張って頂きたいものです(;^_^A
p.s.
Twitter可愛いですねー(´∀`)
グリコさんもキュートです
9月 6th, 2009 @ 12:04 PM
特攻隊でしたが、飛び立つ前に終戦を迎えたそうです。
戦争が続いていたら自分は生まれていなかったのかもしれません。
でも結局、人ごとのように思ってしまいますね;
もっと勉強する必要があると思いました^^
9月 6th, 2009 @ 1:05 PM
>ようこっちさん
そうですよね。こういう物語が語り継がれていくことも大切だなと思いました。
知覧に行ったら、ぜひお人形も見に行ってみてください♪
9月 6th, 2009 @ 1:08 PM
>たらちゃんはじめちゃんさん
ひとりひとりが平和を大切にしていく気持ちを持ち続けなくてはならないですよね。
twitter、気付いてもらえてうれしいです(^^)
さりげな~くふたりのつぶやきを流していきます。
9月 6th, 2009 @ 1:08 PM
愛する人が隣にいる奇跡♪肩を並べ歩く
一緒に空を見上げる
同じものを見る
こんなことさえ叶わなかった時代なのかも知れない。
特攻隊の人達は「母ちゃーん!!」と絶叫しながら敵に突っ込んで死んで行ったと言われます(;o;)
切なくなりますね.。o○
9月 6th, 2009 @ 1:14 PM
>BENNYさん
私も亡くなった祖父の遺品に、戦争へ行った時の帽子や家族の寄せ書きをした国旗が出てきたのを見て、驚いたのを思い出しました。
戦争を身近にとらえることってなかなかないですもんね。それは今日本が平和だからなのでしょうけど。
9月 6th, 2009 @ 1:57 PM
ミシェルさん。
私と主人が出会って初めての旅行が宮崎&鹿児島でした。
私は恥ずかしながら知覧の事を全然知らなかったのですが主人の強い希望で行きましたよ。
旅行が決まってから、「あ、そうだ、私の母方の親戚は鹿児島に住んでるはずだ!」と、思い出し、
会った事も無い親戚に連絡を取り、会いに行きましたところ、カーナビ表示で知覧からなんと6キロでしたΣ(・ω・ノ)ノ!
地方ではあり得ない近距離。
母の年の離れた従兄である85歳の村の長老みたいな方にお会いできましたが、初対面の私たちに対し、スピリチャルな内容を織り交ぜながら、フランクかつ、感の良いトークで、「オーラの泉」状態。
目から鱗でした。
母の疎開先の跡地にも連れて行ってくれたし、お墓参りも出来たし、縁とはこういうものなんだなとしみじみと思いました。
あれがなければ私達一緒になれなかったかもしれません。
私事で勝手に盛り上がってすみません(^▽^;)
ミシェルさん達も行ったなんて奇遇だなぁと、おもわずコメントさせていただきましたo(^▽^)o
9月 6th, 2009 @ 2:15 PM
とても濃い旅でしたね。。
旅って色んな出来事や人との出会いがあるからステキですよね!
9月 6th, 2009 @ 2:50 PM
去年、広島を旅行したときに原爆記念館に行ってきました。実は中学校の修学旅行で一度来たことがあったんですが、そのときはこれと言って何も感じなかったんです。でも今回は展示品の背景を意味を知り、平和の大切さを実感することができました。もしかしたら、こういう博物館って子供じゃなくて大人がもっと行くべきなんじゃないかなって思います。
9月 6th, 2009 @ 7:16 PM
>うめ子(みわ)さん
鹿児島に縁のある方なんですね~(^-^)
何かとの出会い、誰かとの出会いって本当に不思議なものですね。
この日は暑かったけれど少し曇っていて観光にはよい天気でした。鹿児島、いい所ですね♪
9月 6th, 2009 @ 7:18 PM
>m2さん
そうですね。旅先での人との出会いってすごく思い出に残りますね。
一人旅も良いけれど、誰かといろんな経験を共にできるのもいいなって思います。
9月 6th, 2009 @ 7:19 PM
>チュー太郎さん
そうですね。私もそう思いました。
平和学習は子供の頃もやるけれど、大人になってから改めて見るとまた違った感じ方をすることってありますよね。
9月 6th, 2009 @ 7:38 PM
>blue-powerさん
まだ17、18歳くらいの若者ばかりだし、恋も満足にできなかったでしょうね。家族を守ることが国を守ることだったにしても、死ぬとわかっていていくのはどんな思いだっただろうかと思います。
9月 6th, 2009 @ 9:01 PM
戦争って
つい この間の出来事なんですよね。
もっと忘れずに
生きてたいと思います。
あたしも
いつか 行ってみたい。
9月 6th, 2009 @ 10:55 PM
終戦記念日にたまたま戦争に行った兵隊さんたちの遺品を見る機会がありました。
そこに一冊の本があって、6人兄弟の末っ子の青年が、特攻隊出撃前に、母にあてた手紙が掲載されていました。
ただただ親より先に逝く親不孝の謝罪と、自分亡き後の母の身の心配が綴られていました。
胸が痛くなって泣きそうになりました・・・・(TωT)
私も、そこにあった兵隊さんたち一人ひとりに、それぞれの想いがあったんだと思うとせつなかったです。
今の自分があるのは、彼らのおかげだと感謝しないといけませんね。
9月 6th, 2009 @ 11:16 PM
私は鹿児島県民なのでもう何度も特攻記念館には足を運んでいますが、私の叔父が書道が得意で記念館の特攻兵の手紙を読めるらしく、涙が止まらなくなると言っていました。残念ながら私は読めないのでいつか読めるようになりたいと書道を頑張っているところです( ̄▽ ̄)┛ミシェルさんのブログに知っている場所が登場して、思わずコメントしてしまいました!
9月 6th, 2009 @ 11:24 PM
>ビョークさん
私たちの親が戦争を体験していたり、戦後すぐに生まれていたりっていう世代ですからね。たしかにまだそんなに昔でもないんですよね…。
9月 6th, 2009 @ 11:26 PM
>ol110さん
兵隊さんたちの手紙は本当にどれも達筆でした。短期間に飛行機の操縦などを覚えるため優秀な人が選ばれたそうですね。
皆、泣き言一つなく、家族を想う気持ちばかりでしたね。
9月 6th, 2009 @ 11:27 PM
>あーちゃんさん
ホント、読めないほど達筆で驚きました。
鹿児島の方なんですね~。私もグリ子さんも鹿児島とっても気に入りましたよ。
9月 7th, 2009 @ 8:11 AM
ステキな報告をありがとうございました!
戦時中は、今で言うドラッグが国家規模で戦略的に使われていたそうですよね・・・もちろん青少年を対象に。
たとえば軍需工場で長時間労働させるため、たとえば出兵のため、そして当然特攻隊員には出陣前に投与していたそうです。
二度とこういうことをしてはならないという決心を新たにすることの大切さをすごく感じる今日このごろです・・・
9月 7th, 2009 @ 9:35 AM
>ハルムートさん
ドラッグ…そうなんですね。知りませんでした。
戦争になると、いろんな価値観も変わってしまうんでしょうね。恐ろしいことですね。
9月 7th, 2009 @ 10:30 AM
ミシェルさんこんにちは☆
私も特攻平和会館行きましたよ~
若い少年の手記や、写真、特攻前夜の皆との酒盛りなど、せつないお話がたくさんでしたね…。
身動きの出来ない艦内でどんな気持ちで乗っていたのか、とても想像できないです。
愛する家族を想いながら旅立つ少年のなんとせつない事…。
今あるこの瞬間を大切に生きたいと思わせる場所ですね。
ミシェルさんたちも行かれたんだとすごく嬉しくなりました。
お2人の楽しいお話をたくさん聞かせて下さいね♪
9月 7th, 2009 @ 3:10 PM
私が自衛官だった頃、いろんな教育受けました。
特攻隊の基地なども見学に行き、もっと多くの人がきちんと知るべき歴史なんだと思いましたね。
それから国というものについて考えるようになりました。
ミシェルさんとグリ子さんの感性はとても素晴らしいと思います♪
9月 8th, 2009 @ 6:46 PM
>misaayuworldさん
色々とためになった旅でした。
こういうことをふたりで共有する時間も時には大切だなって思いましたよ。
9月 8th, 2009 @ 6:47 PM
>マーシャさん
マーシャさんは自衛官だったのですね。
最近「Lの世界」に出てくる軍人の「ターシャ」のエピソードも見たばかりで、色々考えちゃいました。
9月 17th, 2009 @ 4:44 PM
いつも楽しく拝見させていただいております。
地元鹿児島にいらっしゃったとのことで、
なんだか嬉しくて思わずコメントさせていただきました。
知覧はいつ訪問しても、いろいろ考えさせられます。
大切な人と一緒にいられるという幸せに
感謝の気持ちでいっぱいになります。
ミシェルさんもグリコさんも、
また鹿児島にお越しになる機会がございましたら、
開聞山麓の海岸沿いにある花瀬望比公園もおすすめですよ。
大東亜戦争時、戦火の激しかったフィリピンにて戦死した方への鎮魂の意を込めた像などがあり、海と緑に囲まれた静かな場所です。
鹿児島県民でも意外に知らない人が多い場所でもあります。
9月 17th, 2009 @ 10:27 PM
>そらねこさん
鹿児島の方なんですね(^-^)
鹿児島って歴史的にも興味深い場所が色々あるんですね。うちの両親も何度か旅行していますが「篤姫」などで一層興味を持ったようでした。
教えていただいた公園も調べてみますね。